家守綺譚

 
魂がなつかしがる本

我が家は割とみな読書家だが、それぞれ本の好みが違う。中でも妹とはかなり趣味を異にするのだが、そんな妹と「好きな本ベスト3に絶対入るよね!」と珍しく意見の一致を見るのがこの『家守綺譚』。

人と人ならぬもの、見えるものと見えないもの、あの世とこの世。それらが、はっきりとした境い目なく混じり合って息づいていた頃。豊かな自然と共に日々の暮らしが織り成されていた頃。貧乏学士・綿貫征四郎の目を通して、そんな時代の日々の徒然が描かれる。

登場人物も少なく、これといった大事件も起こらないが(小さな事件はちょくちょく起こる)、描かれる世界は何とも豊かである。河童や小鬼と出会ったり、異界と交流したり、花の精に懸想されたり。そしてそのような世界が日常と重ね合わせに存在し、そもそも何が正しい日常か分からなくなる、そんな不思議な感覚が魅力だ。

読むと細胞がふっくら瑞々しくなるような、日本人として知らずに受け継いでいる感性や精神性が甦ってくるような、そんな感覚がある。私にとっては、参っている時に手にする必殺の「蘇生本」でもある。

端々で描写される「新米精神労働者」綿貫の心の揺れは、面白いと同時に身につまされる。清廉を目指しつつも、現実に生活を営むことから離れる訳にもいかず、まごまごする。不器用な人なのだ。憂いのない世界に足を踏み入れた綿貫は、次のような断りの言葉を口にする。

だが結局、その優雅が私の性分に合わんのです。私は与えられる理想より、刻苦して自力で掴む理想を求めているのだ。こういう生活は、私の精神を養わない(文庫版p.185)

精神を養わない、という表現にハッとする。自分の在り方は、自分の行動は、自分の精神を養うものかどうか。そんな問いをいつも持っていたいと思うのである。

この本に限らず、私は梨木香歩さんの文章が大好きだ。清浄でそこはかとないユーモアがあり、品位がある。どうしたらこんな文章が書けるのか、と思う。文章は嫌でもその人を表してしまうのだろう。つくづく怖いなぁ、と思います。