さとりは常に、起こっているものなんだよ。だから、掴もうとしたって掴めないのさ。右手で右手を掴めないのとおんなじにね。
窓のさんに体の半分を腰かけて、にいさんは言った。
ふうん。
あたしはリンゴをひとくち齧る。シャクッ。この、皮がまっ赤で、みは白くて、噛むと体中が「きゅ」って1ミリ引きしまるみたいな甘酸っぱいリンゴは、あたしの大好物だ。
リンゴの香気と甘酸っぱさを、全身でうっとり味わったのち、にいさんの言ったことを考える。
それって、空気はふだん、そこいら中にあって、というか、空気そのものの中にあたしたちはいて、なんにも考えずに息を吸っているけど、(息を吸おう!)とひとたび強く思ったとたん、どんどん苦しくなって、空気が遠ざかっていくみたいな、そんなことなのかしら。
なぜこう思うかと言えば、おととい、体操の時間に「おおきく深呼吸しましょう」と言われた時、いっしょうけんめい吸えば吸うほど苦しくなって、半分パニックになったのを思い出したからだ。
空気はそこいら中にあり、あたしは大きく、大きく呼吸してるのに、なぜ苦しくなるの?って、意味がわからなかった。
うーん。ちがうかしら。
にいさんはすでに、本に没頭している。こうなると、しばらくこっちに戻ってこない。
おざなりに手をはたいて、裏庭にでると、いつもの場所にリンゴの芯を埋めた。
いつか、果樹園のある家に住めますように。できれば、にいさんも一緒に。
さあ夕飯のしたくをしよう。