友達?仲間?同志?
どれも微妙にしっくり来ないけど、とにかく大好きな人間とゆっくりモーニング。
今週は疲れが溜まっていて、朝身体が重かったけど、それでも起き出して身支度し、電車に乗ってでも会いに行こうって思える人がいるのは、幸せだ。あーだこーだ色々喋り、それでいて気づきも深まり、会う前よりずっと楽しくなってエネルギーチャージされるのは、さらに幸せだ。
すっかりご機嫌になり、地元の街を散歩。駅前の大通りをずんずん歩いていくと、歩道脇のとあるベンチにどうしても寝転がりたくなって、寝転んで空を見た。ぽかぽかの日の光を、目を瞑って身体中に浴びると、すっごく気持ちがよくて、自然に顔がニヤニヤする。特にまぶたの気持ちよさは格別。普段あまり、日があたらないから。
歩道を色んな人が通りすぎていく。ニヤニヤしながら寝転んで、ちょっと変な人かもしれないけど気にならない。だって本当はそうしてみたい人、いるんじゃないかな。そんな人が私を見たら、ひょっとして(私も今度やってみよ)って、思うかもしれない。そしたらちょっと楽しい。(もちろん逆に、カッコ悪いな、やっぱりやめとこってなるかもしれないけど)
無防備にベンチに寝転がっていてもまったく不安を感じない治安のよさ、昨日までと打って変わって気前よくあたたかいお日様、何も見なかったようにさらっと通り過ぎていくこの街の人たちのやさしさを、満喫するのだー!!と思ったら、楽しさと幸せが濃くなった。
どちらかと言えば、社会の中で「まじめ担当」をずっとやってきた人生だった。それなりにまじめに仕事し、子育てし、生活してきたと思う。
だけども本当は、私が心躍るのは、社会の中でどうでもいいようなこと、なくても困らないこと、遊びみたいなこと、そんなことばかりなのだ。そのことにずっと、戸惑ってきたと思う。
そんな私がまじめ担当を一生懸命やっても、そこそこの成果は出ても、目が覚めるような、爆発的な力は出ない。
そんなのつまんないー、もう飽きたよーって、魂が言っている気がする。
後半生は、ふまじめ担当、遊び担当、余白担当として生きることに、少しずつシフトしていこう。この身体と魂、私といういのちへの礼儀として。