私が考えるコーチングとは何か。about にも書いたのですが、そこでは伝えきれなかった想いを書いてみます。
私はコーチングとは「その人の存在の純度をあげていくお手伝い」だと思っています。「存在の純度」とは抽象的な表現ですが、その人を本当にその人たらしめている本質的な部分、核のようなもの(魂と言ってもいいと思います)、そんな部分のエネルギーが存分に放たれていればいるほど、存在の純度が高いと私は捉えています。
(私はこんな人間で、どうしてもこう生きずにいられない)。そんな本質としっかり繋がって、壁にぶつかろうと、無関心や横槍に傷つこうと、何度でも立ち上がって、泥臭く、真っ正直に自分を生き続けようとする。そんな「存在の純度が高い人」に私は強烈に惹かれます。そして人は本来、そのように生きたいのではないかとも思うのです。なぜなら、そのように生きている人が発するエネルギーは、クリアで喜びに満ちていて、周りに明るさや幸せをもたらし、そのことによってその人自身もまた、存在の深いところで喜んでいるように見えるからです。
存在の純度は、年齢や経験、知識の多寡、能力などとは関係がありません。その人らしく生きるのに必要な材料は全て、その人の内に備わっています。ただ、これまでの人生で身につけた、もしくは身につけざるを得なかった様々な思考の型や癖、習慣、役割、条件づけ、心の傷や痛みが、本来のその人を覆い隠していることが多いのです。すると、本質から放たれるエネルギーは弱まってしまいます。
本質を覆い隠す要素には勿論、必要なものもあります。ただ、自分がどんな風にそれらに影響されているか自覚するだけでも、人生の風景は全く違って見えてきます。その人の本質的な要素とオプション的な要素を識別し、要らないものは手放し、或はラベルを書き替え、或は自分の意志で出し入れ可能にして、本当に必要なものとより強く、深く結びついて行動していく。そこをサポートするのがコーチの役目だと思っています。